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神戸地方裁判所 昭和57年(レ)41号 判決

控訴人 河越清一郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 瀧俊雄

被控訴人 亡藤田常治訴訟承継人 藤田裕一

右訴訟代理人弁護士 永田力三

主文

一  原判決を左のとおり変更する。

1  被控訴人は、控訴人らに対し、一六四万三六一二円及びこれに対する昭和五四年一二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人らの各負担とする。

三  この判決は控訴人ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人らに対し、別紙物件目録記載二の建物を明け渡し、かつ、昭和五四年九月一日から右明渡ずみまで一か月一万二〇〇〇円の割合による金員を支払え。

3  被控訴人は、控訴人らに対し、一六四万四〇〇〇円及びこれに対する昭和五四年一二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

5  仮執行宣言

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  訴外河越松(以下「訴外松」という。)及び控訴人河越清一郎(以下「控訴人清一郎」という。)は、昭和三四年ころ、亡藤田常治(以下「亡常治」という。)に対し、その共有にかかる別紙物件目録記載一の建物(以下「旧建物」という。)を店舗兼居宅用として賃料毎月末日払いの約定で期間の定めなく賃貸し、引き渡した。

右賃料は、昭和四一年六月分以降一か月一万二〇〇〇円に改定された。

(二) 旧建物は、昭和四三年三月芦屋市が実施した土地区画整理事業によりその南側の一部が除却され、かつ、その際亡常治の要請に応じて東側に便所(約二・四三平方メートル)が増築された結果、別紙物件目録二記載のとおり同一性を保持しつつ床面積の減少した建物(以下「本件建物」という。)となった。

(三) 訴外松は昭和五〇年一二月一七日死亡し、控訴人ら両名が相続によりその地位を承継した。

(四) 亡常治は昭和五八年九月八日死亡し、被控訴人が相続によりその地位を承継した。

2  賃料不払

亡常治は、昭和四三年四月分以降昭和五四年八月分まで一か月一万二〇〇〇円の割合による賃料を支払わなかった。

3  無断改造

亡常治は昭和五四年七月二七日ころ控訴人らに無断で本件建物一階店舗部分の大規模な改造に着手したので、控訴人らは同月二八日到達の書面により亡常治に対し直ちに右改造工事を中止し原状に回復すべき旨を催告した。

しかし、亡常治は、これを無視して工事を強行し、店舗部分の土間の奥行を約一メートル縮少し、間仕切壁の一部を除去し、板の間の床板、根太等を新材と取り替えて売場部分である板の間を拡張し、梁を新材と取り替えて天井を張り替え、店舗内の柱のうち従前あった約八本を取り外し、うち約五本は元の位置またはこれに近い位置に立て直したが、三本を完全に除去したうえ、アルミ・サッシュ建具を用いた出入口を南面に新設し、一、二階南側外面板壁にモルタル張り工事を施すなどの大掛りな改造工事をそのころ完成させた。

なお、右改造工事において店舗部分の柱三本を完全に除去したことにより、本件建物の耐震力が低下し、地震時における倒壊の危険性が増大した。

4  控訴人らは、昭和五四年八月三〇日到達の書面により亡常治に対し、前記の賃料不払及び無断改造工事を理由として本件建物賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

5  よって、控訴人らは、被控訴人に対し賃貸借契約の終了に基づき本件建物の明渡及び本件賃貸借契約終了の日の後である昭和五四年九月一日から右明渡ずみまで一か月一万二〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払並びに昭和四三年四月一日から本件賃貸借契約終了の日である昭和五四年八月三〇日まで一か月一万二〇〇〇円の割合による延滞賃料合計一六四万四〇〇〇円及びこれに対する支払期限の後である同年一二月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実(賃貸借契約の締結、地位の承継等)はいずれも認める。

2  同2の事実(賃料不払)は認める。

3  同3の事実のうち、控訴人ら主張の書面がその主張する日時に到達したこと、亡常治が、控訴人らに無断で、南側出入口を新設し、店舗内の柱二本を取り除いて鉄柱一本と取り替え、壁、床に新材を附加し、土間に床を張り、天井を張って、一、二階南側の外面板壁にモルタル張り工事をしたことは認めるが、梁、天井、床、根太等を取り替えたこと及び売場部分を拡張したことは否認し、その余は争う。

4  同4の事実(解除の意思表示)は認める。

三  抗弁

1  賃料減額請求及び減額賃料額の弁済供託

(一) 昭和四三年芦屋市の土地区画整理事業により旧建物の南側にあらたに幅員一〇メートル余の道路が開設され、旧建物は、その南側の一部がこの道路にかかるため同年三月床面積の約三分の一にあたる南側の部分を切除され、結局、右部分が賃借人たる亡常治の過失によらずして滅失した。

(二) 亡常治は、昭和四三年四月訴外松に対しそのころ到達の書面により、右のような土地区画整理事業による一部滅失を理由として本件建物の賃料を同月以降一か月あたり四五〇〇円減額し月額七五〇〇円とすることを請求する旨の意思表示をした。

(三) 亡常治は、訴外松に対し旧建物の一部滅失の時に遡って一か月七五〇〇円の割合による賃料(以下「減額賃料額」という。)を提供したところ、同訴外人にその受領を拒絶されたので、昭和四三年四月分以降一か月七五〇〇円の割合による賃料を神戸地方法務局西宮出張所に弁済供託し、昭和五四年六月分以降については一か月一万円の割合により同じく弁済供託している。

2  また、以下の事実があるので、控訴人らの賃料不払を理由とする解除は、信義則に反し、権利の濫用である。

(一) 仮に減額賃料額による弁済供託が不適法であるとしても、亡常治及び被控訴人の右供託額は、著しく不相当なものではなく、信義則上許容される範囲内の金額だというべきである。

すなわち、本件建物は、土地区画整理事業という公共事業のために市において計画した道路開設を優先してその道路計画に沿うように旧建物の内部の状況を一切考慮することなく建物南側部分を斜めに変則的に一部切除された結果、いびつな形状を呈するに至ったものであり、このため計数的な床面積の減少率以上に建物としての利用効率が低下していること、土地区画整理事業以前には亡常治の店舗は、北側表通りに面する出入口を有していたところ、土地区画整理事業により南側に道路が新設されたため、北側道路がむしろ裏通りと化し、かつ、あらたに表通り化した南側道路に対しては出入口を有しないため店舗としての利用価値が低下したこと、このため顧客数が減少したこと、以上の理由により本件建物の利用価値は計数的な床面積の減少率以上に低下したものであるし、亡常治がそのように考えて減額賃料額を七五〇〇円と判断したこともやむをえない。

(二) 訴外松ないし控訴人らは、亡常治から賃料減額請求を受けて以降、相当賃料の支払の催告を全くしていない。

(三) 控訴人らには、本件建物の明渡を求めねばならない特段の緊急性はない。反面、被控訴人にとっては、本件建物を明渡すべきことになると生計の根本が破壊され家族の生活が直接に脅かされる結果となる。

(四) 訴外松ないし控訴人らは、本訴提起まで一〇年余の間亡常治の弁済供託及びその額につき何らの異議を述べることもなく放置していたのであって、亡常治に対し、もはや賃料不払による解除はされないであろうとの信頼を与えた。

3  以下の事実があるので、無効改造を理由とする解除は、信義則に反し、権利の濫用である。

(一) 亡常治は旧建物において茶の小売業を営んでいたところ、前記のとおり、土地区画整理事業の結果従前表通りであった本件建物北側の道路は人通りが減少して裏通りと化し、南側に開設された歩車道の区別のある幅員の広い道路が事実上表通りとなったが、本件建物は従前どおり北側道路に面してのみ出入口を有し南側道路に面する出入口がないため、あらたに表通りとなった南側道路からは亡常治の店舗は人目につきにくく、また、店舗に出入するためには南側の表通りから北側道路へ迂回しなければならない不便もあって、顧客数が減少した。

そこで、亡常治は、従前どおりの収入を得るため訴外松及び控訴人らに対し再三にわたり南側出入口の新設を申し入れたが、その同意を得ることができず、やむをえず従前どおりの状態で営業を続けてきたものの、年々顧客数が減少し営業不振に陥ったので、たまりかねて昭和五一年九月ころにも南側出入口の新設につき承諾を得るべく申入れをしたが、控訴人らは面会すらも拒否する状況であった。

しかし、そのままの状態で推移するならば亡常治一家の生活にも支障が生ずることが予測され、一家にとり死活問題にまでなってきたので、亡常治は、昭和五四年七月南側出入口を新設し、併せて店舗部分の改装工事をも実施したものである。

以上のとおり、本件改造、改装工事はその目的、動機において合理性があるばかりか、控訴人らは、本件建物を店舗兼居宅として賃貸している以上、賃借人に対し本件建物が店舗としての効用を発揮しうるように協力すべき立場にあるとすらいえる。

(二) 亡常治のした工事のうち改造工事に該当するものとしては、南側出入口新設のほかには店舗内の柱二本を取り除いて鉄柱一本と取り替えたことがあるのみであって、その他はいずれも店舗内外の当然の内外装工事にすぎない。店舗内の柱二本を取り除いて鉄柱一本と取り替えたのは、これらの柱が相当腐敗していたので安全確保のためしたものであり、かつ、店舗として使用上の便宜をよくするためにしたものでもあって、構造上の変更というに当らず、本件建物の強度を脆弱ならしめるものではない。

以上のとおり、本件工事は、賃借物の一部である店舗部分に対するものにすぎず、とりたてていうほどの構造上の変更はなく、むしろ本件建物の効用を増加させるものであり、原状回復も十分可能である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実について

(一) 同(一)の事実のうち、滅失部分の割合が旧建物の三分の一にあたることは否認し、その余は認める。

(二) 同(二)の事実(賃料減額請求の意思表示)は認める。

(三) 同(三)の事実(弁済供託)は認める。但し、一か月一万円の割合で供託したのは本訴提起後の昭和五四年一二月一七日以降のことである。

2  抗弁2の事実のうち、同(二)の事実(相当賃料の支払の催告をしなかったこと)は認めるが、その余は否認ないし争う。

3  抗弁3の事実について

(一) 同(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実のうち、昭和五一年九月ころ亡常治から南側出入口の新設につき申入れがあったことは認めるが、その余は否認する。

五  抗弁に対する控訴人らの反論

1  抗弁1について

(一) 旧建物の床面積は七二・七三平方メートルであったが、本件建物のそれは六一・六九平方メートルであるから、旧建物に比べて一一・〇四平方メートル、約一五・二パーセントの減少となる。しかるに、被控訴人は旧建物の床面積の約三分の一が減少したとして一か月四五〇〇円の減額を請求しているところ、その減額率は三七・五パーセントに達し、右の床面積の減少率と対比すれば極めて過大不当である。

さらに、床面積の減少の割合に比例して本件建物の利用価値が減少したと即断し賃料減額を請求することは、早計であり、失当である。なぜなら、南側道路の開設等の道路整備によってこの地区の環境がよくなったため総体的には付近一帯の人通りが増加しているから、亡常治の店舗の顧客数が減少したものとは考えられず、本件建物の利用価値は、総合的に観察して増加こそすれ減少することなどはありえないからである。

以上のとおりであるから、亡常治の減額請求額一か月四五〇〇円は過大不当であり、減額賃料額による供託は適正額の供託とはいえない。

(二) 亡常治は、供託に際し、供託時の約定賃料はあくまでも一か月一万二〇〇〇円であるにもかかわらず、亡常治の一方的主張である減額賃料額があたかも約定賃料額であるかのように表示したうえ、約定賃料を提供したのに控訴人らに受領を拒絶されたとか、賃貸人が値上げを要求し目下係争中であるから受領しないことが明らかであるなどと供託のつど供託原因事実を捏造して供託手続を反復してきたものである。換言すれば、亡常治は、減額賃料額をそのまま相当賃料額として供託する方途がないため、賃借人からの減額請求の事案であるにもかかわらずあたかも賃貸人からの増額請求の事案であるかのように装い、供託原因として虚偽の事実を記載し、法務局の係員を欺罔して結果的には減額賃料額の供託を受理せしめることができたのである。

このような供託は、虚偽の供託原因に基づくものであるから、無効である。

(三) 亡常治の賃料減額請求は土地区画整理法一一六条一項によるものであり、民法六一一条一項の適用は排除されると解すべきである。

したがって、減額賃料額の算定には、建物賃料の構成に関するあらゆる事情を勘案すべきで、物理的な床面積の減少割合のみに基づくことは失当である。右の見地に立って算定すると、右区画整理事業実施直後の昭和四三年四月一日における本件建物の適正賃料額は、むしろ従前賃料額を上廻るから、亡常治側には減額請求権自体が存在しなかったことになる。

また、土地区画整理法一一六条一項に基づく賃料減額請求にも借家法七条三項を類推適用すべきであるから、被控訴人らは、裁判確定まで従前賃料の支払を要し、減額賃料額を供託したところで債務不履行の責を免れない。

2  抗弁2について

以下の事実があるので、賃料不払を理由とする控訴人らの無催告解除が信義則に反するとか権利の濫用であるとかいうことはできない。

(一) 賃料不払を理由とする賃貸借契約の無催告解除は、控訴人らの当然の権利行使であり、有効である。

亡常治は昭和四三年四月分から一〇年余にわたり賃料を支払っていないが、このような長期にわたる賃料債務不履行の事実はそのこと自体賃貸借関係の継続を困難にする不信行為であるところ、これに加えてこの間における亡常治及び被控訴人の誠意なき非協調的言動を考慮すると、控訴人らがあらためて相当の期間を定め従前賃料の全額支払の催告をしても社会通念上その支払は期待すべくもないと認められるから、控訴人らのした賃料不払を理由とする催告なしの賃貸借契約解除の意思表示は、控訴人らの当然の権利行使であるというべきである。

(二) 控訴人らは当初亡常治の理解を得るべく資料まで持参して話合いを求めたが、亡常治及び被控訴人の父子は、暴言非礼の挑戦的態度を示し、その後も、控訴人らが賃料額の協議をする前提として、まず被控訴人父子が控訴人らに対し右非礼につき謝罪するよう勧告したのにも応ぜず、終始話合いを拒否し続けた。

右のとおり、賃料額をめぐる紛争解決のための話合いの努力を怠ってきたのは、被控訴人の側である。

(三) 控訴人らとしてはこの間被控訴人側の出方、動静を見守るよりほかなかったのであり、控訴人らに法的手段による紛争解決をなすべき義務や供託賃料の払渡を受けるべき義務が存するわけではないから、控訴人らが一〇年余にわたり紛争を未解決のまま放置したと非難するのはあたらない。

3  抗弁3について

以下の事実があるので、無断改造を理由とする控訴人らの本件賃貸借契約解除が信義則に反するとか権理の濫用であるとかいうことはできない。

(一) 南側出入口の新設につき、昭和五一年九月ころ以前に亡常治から明確な申出を受けたことはない。かえって、土地区画整理事業の直後に便所を増築する際、控訴人らから亡常治に対し工事費用を控訴人らが負担して南側出入口を新設するから従前どおり一か月一万二〇〇〇円の賃料を支払うよう提案して説得に努めたところ、亡常治は南側出入口は不要であるとして右提案を拒否し、減額の主張に固執した事実がある。しかるに、亡常治は、それから一〇年余を経過した後において控訴人らの承諾なくして南側出入口の新設及び店舗部分改造工事に着手し、控訴人らの中止勧告を無視して工事を強行し、完成させたのである。

(二) 本件改造工事は、本件建物がすでに築後六〇年余を経過し、土地区画整理事業による一部除去もあって相当程度老朽化が進行していたため、控訴人らにおいて全面的建替えを考え始めていた失先に行われたものであるから、これが控訴人らの利益になると断ずることはできない。

また、亡常治は控訴人らが本件建物の建替えを考えていることを知りながらその制止を無視して一時的糊塗的なものにすぎない改造工事を行ったものであり、その背信性は強い。

六  控訴人らの反論に対する認否

すべて争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の(一)ないし(四)(賃貸借契約の締結等)及び同4(解除の意思表示)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  まず、解除原因のうち賃料不払についてみる。

1  請求原因2の事実(賃料不払)は、当事者間に争いがない。

2  抗弁1の事実のうち、昭和四三年芦屋市の土地区画整理事業により旧建物の南側に新たに幅員一〇メートル余の道路が開設され、旧建物はその南側の一部がこの道路にかかるため同年三月その部分を切除されたこと、亡常治は同年四月訴外松に対しそのころ到達の書面により右のような土地区画整理事業による一部滅失を理由として同月以降の賃料につき、一か月一万二〇〇〇円の従前賃料額から四五〇〇円減額して七五〇〇円とすることを請求する旨の意思表示をしたところ、亡常治は訴外松に対し一か月七五〇〇円の割合による減額賃料額を提供したところ同訴外人にその受領を拒絶されたので、昭和四三年四月分以降一か月七五〇〇円の割合による賃料を神戸地方法務局西宮出張所に弁済供託し、昭和五四年六月分以降については一か月一万円の割合により同じく弁済供託していることは、当事者間に争いがない。

ここで、右のような亡常治のなした賃料減額請求については控訴人らも主張するとおり、土地区画整理法一一六条一項によって律すべきであって、民法六一一条一項の適用は排除されるものと解する。けだし、民法の同条項は、賃借物の一部が滅失したときにはその滅失の割合に応じて利用価値が減少するという通常の場合についての規定であるから、これを、土地区画整理事業の施行により賃借建物の一部が除却されて、その建坪が減少するという場合(土地区画整理法一一六条一項は、単に建築物の移転についてのみ規定しているが、その立法趣旨に照らすと、建物の一部除却の場合をも含むものと解するのが相当である。)のように、必ずしも常には利用価値の減少を伴うとは限らないし、仮に利用価値の減少を伴うときでも必ずしも建坪の減少の割合に応ずるものではないような場合に適用するのは適切でなく、かかる場合、従前賃料の相当性を決定するにつき利用価値の増減に対する総合的判断を前提とするものと解される土地区画整理法一一六条一項によるのが相当であるからである。

なお、実際にも、《証拠省略》によれば、亡常治にしても、本件減額請求の際、その請求の理田としては、請求書中に「区画整理事業により建物が斜めに削減されたため占有面積の減少、家屋価値の減少、使用価値の減少、家屋の老朽等」云々と記載し、必ずしも旧建物の物理的な一部滅失のみに限定せず土地区画整理事業の施行から派生した諸事情を総合的に掲げていることが認められるところである。

したがって、本件賃料減額請求においては、単に建物の床面積の減少率だけでなく、当該土地区画整理事業の施行により生じた諸々の事情を総合的に勘案してその利用価値の減少度を算定すべきところ、《証拠省略》によれば、なるほど、土地区画整理事業に伴い本件建物は床面積が約一五・二パーセント減少したばかりか別紙添付図面のとおりいびつな形状となって機能面においては床面積の減少率以上に低下するに至ったが、他方、本件建物敷地は、その南側に新設された幅員約一四・二メートルの幹線道路(県道)と同約四・二メートルの従前から存して北側市道との接点に位置する角画地となって、道路接面条件が極めて好転したことが認められ、右の本件建物自体の利用価値の低下要因とその敷地の利用価値の増加要因とを比較して総合的に判断すれば、結局、本件建物の店舗用土地付建物としての利用価値は土地区画整理事業の施行により減少したものと認めるには足りず、かえって、これが増加したと認められるくらいである。

そうすると、亡常治の本件減額請求は、その根拠を失い、無効というべきである。したがって、本件賃料は依然一か月一万二〇〇〇円のままであったということになる。

そして、土地区画整理法一一六条一項による建物賃料減額請求の場合にも、借家法七条三項を類推適用すべきであって、これによれば、賃貸人たる訴外松は裁判確定までは従前賃料の範囲内であれば自分で相当と認める賃料の支払を請求できるというべきところ、後に認定するとおり、同訴外人は亡常治に対して従前どおりの賃料(一か月一万二〇〇〇円)を請求していたのであるから、亡常治ないし被控訴人による一か月あたり七五〇〇円ないし一万円の弁済供託は、その余の事実について判断するまでもなく不適法である(賃料債務消滅の効果も履行遅滞の責を免れさせる効果も生じない。)。

3  そこで、控訴人らの賃料不払解除の信義則違反ないし権利濫用の点につき検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、亡常治は旧建物及び本件建物において茶の小売業を営んでいたこと、旧建物はその北側に隣接する幅員約四・二メートルの芦屋市道に対してのみ出入口を有していたこと、土地区画整理事業により本件建物の南側に隣接して幅員約一四・二メートルの県道が開設され、以来右県道が表通りとなり、右市道は裏通りと化したこと、そのため、亡常治の店舗は、表通りからは人目につきにくくなり、かつ、表通りの通行者が右店舗に立ち寄るためには短距離ではあるが裏通りへ迂回せねばならない不便さを生じたこと、また、土地区画整理事業による一部滅失後の本件建物は別紙添付図面のとおりいびつな形状となったこと、昭和四三年四月ころ訴外松が亡常治の代理人である被控訴人に対し賃貸人側の費用で本件建物に南側出入口を新設する代りに賃料は従前通り一か月一万二〇〇〇円に据え置く旨の提案をしたところ、被控訴人はこれに対し南側出入口を新設したとしても亡常治の商売がよくなるかどうか判らないのでその必要はなく賃料減額請求は撤回しないと主張して右提案を拒否したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定事実によれば、亡常治の大幅な賃料減額請求は、土地区画整理事業によって計数的な床面積の減少率以上に本件建物の店舗としての利用価値が減少するとの考えに基づくものであることが推認でき、かつ、亡常治が右のように誤解したことにもそれなりに酌むべき事情があるというべきである。

(二)  《証拠省略》によれば、控訴人清一郎は昭和四三年六月末ころ亡常治方において従前賃料額の据置きを求めて亡常治及び被控訴人と交渉したが、控訴人らは、右交渉が決裂して以後一〇年余もの間賃料額確定のための何らの具体的措置をとることなく放置し、昭和五四年八月に至って延滞賃料支払の催告もないまま本件賃貸借契約の解除の意思表示をしたことが認められ(但し、昭和五四年八月の解除の意思表示及び延滞賃料支払の催告の欠缺は、当事者間に争いがない。)、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  《証拠省略》によれば、本件建物の明渡は、被控訴人の生計の根本を破壊しその生活の直接の脅威となるものであるのに対し、控訴人らの側にはこれを求めるべき重大な緊急性は存在しないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  もっとも、《証拠省略》によれば、前記昭和四三年六月末ころの交渉の際、被控訴人が「月額七五〇〇円がギリギリで無い袖は振れん。もうあんたの顔は二度と見たくない。」などと刺激的挑戦的言辞を弄し、亡常治も被控訴人の右の言動を抑制することもなかったうえ「この話は法廷で解決するしかないと。」述べたため、控訴人清一郎は著しく感情を害したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定事実によれば、本件当事者間の人間関係は右交渉以来著しく破壊されたものであり、しかもその主たる原因は被控訴人の側にあるというべきである。

しかしながら、賃貸借契約関係における賃貸人の利益は、主として賃料の確実な収得による投下資本の回収と賃貸目的物の維持にあるのであるから、上記のような感情的人的関係の破壊が直ちに賃貸人の解除権を生ぜしめる方向に働くと解すべきではない。

5  以上に述べたところを総合して検討するのに、前記のような本件当事者間における対人関係の悪化は、被控訴人側の言動に起因するものであるとはいえ、右の事実は、本件賃貸借契約の継続を困難にする信頼関係の破壊的要素として重視すべきではなく、かえって、被控訴人側は法律上要求される額には一部不足して不適法ではあるものの弁済供託を続けていること、そのような金額の供託を決意するについてはそれなりに酌むべき事情があったといえること、控訴人側も一〇年余もの間賃料額をめぐる紛争解決の努力をしてこなかったこと、控訴人らの明渡を求めるべき緊急性に比べ被控訴人側の本件建物占有使用の必要性が大きいこと等の事情からすれば、賃料不払を理由とする控訴人らの無催告解除は、信義誠実の原則に反し、権利濫用の譏を免れえないものというべきである。

したがって、右の解除の意思表示は無効である。

三  次に、解除原因のうち無断改造についてみる。

1  請求原因3の事実(無断改造)のうち、控訴人らが昭和五四年七月二八日到達の書面により亡常治に対し改造工事を中止し原状に回復すべき旨を催告したこと、亡常治は控訴人らに無断で本件建物に南側出入口を新設し、店舗部分の壁及び床に新材を附加し、土間に床を張り、天井を張るなどし、本件建物一、二階南側の板壁外面にモルタル張り工事をしたことは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、亡常治は南側出入口新設に際し、右出入口部分に存した柱三本を取り除き、そのうち一本は元の位置に近い場所に立て直したほか、売場部分である一階板の間の中央に鉄柱一本を新設し、その北側と南側にある柱二本を取り除く改造工事を行い、差引三本の柱を減少させたこと、土間に床を張ったことに伴い従来の土間と板の間との間仕切壁を除去したこと、板の間とその南面に存した旧物置との間の間仕切壁を除去したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、耐震力の低下の点については、《証拠省略》によれば、二か所の間仕切壁除去により東西方向に揺れる地震に対する強度が若干弱められたことは認められるが、本件建物を全体としてみた場合に耐震力が著しく低下したことまでも認めるに足りる証拠はない。

2  そこで、無断改造を理由とする控訴人らの解除の信義則違反ないし権利濫用の点につき検討する。

(一)  《証拠省略》によれば、亡常治方店舗に来集する顧客数は土地区画整理事業後年月の経過とともに減少し、同人の茶の小売業は経営不振に陥ったこと、亡常治は経営不振の打開のためには表通りに面する南側出入り口の新設が必要であると認識するに至ったこと、そこで、被控訴人は、亡常治の代理人として、昭和五一年九月ないし一〇月ころ控訴人河越良子(以下「控訴人良子」という。)に対し南側出入口新設についての賃貸人の承諾を求めたこと、ところが、控訴人良子は、このようなことは賃借人本人である亡常治自身が来て直接申入れするよう要求し、これに応じて来訪した亡常治に対し、昭和四三年六月の交渉時における被控訴人の非礼を指摘したうえ、改造工事についての承諾の話合いに入る前提として右被控訴人の非礼についての謝罪書面の差入れを要求したこと、亡常治は右要求を受け入れたが、現に差し入れた書面には、賃料紛争が長期化したことに対する反省と改造工事に承諾を与えるべき旨の要望とは記載されていたものの、被控訴人の非礼についての謝罪の意思は表明されていなかったため、控訴人らは改造工事についての承諾を与えなかったこと、亡常治はその後約二年を経過していよいよ経営不振が深刻になったため改造工事を強行したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の改造工事の動機、交渉経過等の事実によれば、亡常治の本件建物南側出入口の新設工事は、その生計の維持のためやむをえないものというべきである。

また、右認定事実に前記認定の昭和四三年四月ころ控訴人らの側から従前賃料額据置きとの交換条件として控訴人らの費用負担による南側出入口新設の提案がされた事実を併せて考慮すると、控訴人らは、南側出入口を新設したところで賃貸目的物の維持という観点からの不利益が生ずるわけではないと認識しており、専ら当事者間の感情的軋轢から前記承諾を拒否したものであることが推認でき、これを覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、控訴人らの南側出入口新設工事についての承諾の拒否には法律上考慮するに値する合理的理由は何ら存しないものというべきである。

(二)  南側出入口の新設以外の改造工事についてみるに、店舗部分の壁、床に新材を附加したこと、天井を張ったこと及び一、二階の南側外壁面をモルタル張りとしたことは、店舗としての使用のための内装及び改装工事の域を越えないというべきであるし、土間に床を張ったこと、間仕切壁を除去したこと及び柱をつけ替え、一部除却したことについては、《証拠省略》から看取される別紙添付図面のとおりの本件建物の形状、土間部分や柱の位置関係からすれば、本件建物一階店舗部分の有効利用という見地からみて南側出入口の新設に伴う附帯的改造工事として相当な範囲を出ないものというべきである。

(三)  被控訴人側の本件建物使用の必要性と被控訴人らの明渡を求めるべき緊急性の比較衡量については、すでに二3(三)に述べたところと同様である。

3  控訴人らが本件建物の全面的な建替えを予定していたこと及び亡常治が右事実を知っていたことを認めるに足りる証拠はない。

4  以上の諸事情を総合して考えてみるに、亡常治の本件建物改造工事は、前記区画整理事業による建物の一部除却と南側表道路開設の結果、生計維持の必要上ないし店舗部分の有効利用の見地からこれを余儀なくされたものであり、また、亡常治の側から控訴人らの承諾を得るための努力も一応なされており、他方、控訴人らの側には本件改造工事に基づくさしたる不利益はないというべきであるから、右改造工事をもっては未だ本件賃貸借契約の継続を困難とする程度には当事者間の信頼関係は破壊されていないというべきである。

したがって、無断改造工事を理由とする控訴人らの解除は、権利濫用にあたり、無効というべきである。

四  以上によれば、被控訴人には依然一か月一万二〇〇〇円の従前賃料を支払うべき義務があるが、本件賃貸借契約の解除は無効であるから、控訴人らの本訴請求は昭和四三年四月一日から昭和五四年八月三〇日までの延滞賃料合計一六四万三六一二円及びこれに対する支払期日の後である同年一二月一六日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきであり、したがってこれと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧山市治 裁判官 貝阿彌誠 柴谷晃)

〈以下省略〉

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